というわけで、およそ一か月ぶりの更新です!
先輩が使っていた言葉ですが、なかなか「粘られた」1月でした笑。
日本から戻ってきて進級試験の勉強を開始し、中旬に終わりました。
結果は…、まあ…、同期達との差が浮き彫りになる結果でした(泣)。
ただ、自分は日本に戻っていたこともあって、10日間の準備の割にはがんばったのではないかと。
次のときには、しっかりと準備してがんばりたいと思います!
そして、試験の後は、すぐに研究&授業生活が始まりました。
始めのうちは、研究が上手く行かず、というかメンターとの意思疎通がうまくいかず大変でした…。
(専門用語わからないし、英語話すの早いし苦笑。)
しかも、チームにいる他の学生もネイティブなので、なかなか輪に溶け込めず、ラボに行くのが若干億劫になりかけてました…。
でも、言葉が全て通じることはなくとも、その場にいて話を聞く、話をすることが大切だと思い、徐々に自分から話すようにしています。
すると、自分の心のあり方が変わったのか、不思議なことに、少し親しくなった気がしている今日この頃です。いやー、親日家の多いメンバーでよかった!
はてさて、タイトルの話ですね。
最近、鴻上さんの「孤独と不安のレッスン」という本を読みなおしています。
そこででてきて印象的だったのが、「頭と体の速さは違うことを理解する」ということ。
頭ではわかっているつもりでも体がついてこないという経験、みなさんあると思います。
スラダンだと桜木のシュートイメージと実際にビデオに映った姿がかけ離れている感じですね。(読んでない人、分からない例えでごめんなさい。)
上の例とは別の観点から、もう一点、「頭と体の速さは違う」と上述の進級試験の勉強をしていて思ったことがあります。
それは、わかっている(思考としては理解している)けど、問題が解けない(ある意味、身体がついていかない)というパターン。
試験勉強中は、頭では分かっているはずなのに、なんで問題が解けないの!?という感じで、焦りや不安を冗長させていたのかと思います。
そこで、上述の本を読んで納得したのが、「頭と体の速さは違う」んだと。
頭では「自分はできるはず」と思っていても、身体は容易にはついてこないんですよね。
特に、勉強とか、頭で考えるものだと「思考(想像、妄想!?)=身体(実際に考えられること)」と勘違いしやすい気がします。
そして、受験生のときの自分は、「わかっているから、解ける」と思っていたのだと反省しました。
「わかっていなくても解ける(解答を丸暗記する)」のは受験時には有効ですが、理想はやっぱり「わかっていて、解ける(思考と身体が一致している)」状態がベストかと。
だからこそ、「思考と身体の速さは違うことを理解」することで短期間で成果がすぐに出なくて当然と思い、焦ったり不安になって手がつかなくなったり投げ出したりすることなく、着実に努力することが結局は成功への一番の近道なんだと痛感しました。
(痛感したのが、試験には遅すぎて結果に反映されてませんが…泣)
実際、元の研究室の同期とか、今の同期を見ていても、成果を出している人はそれなりの努力をしていて、「才能」という言葉で片付けるのは雑すぎる気がします。
(もし「才能」という言葉を使うなら、「努力する才能が同期達にはある」という感じでしょうか。)
日本では、泥臭く真面目にやることよりも、適当に手を抜きつつ良い成績を取ることがすごいことと思われますが、実際は真面目にできる才能こそほめるべきかと思います。
研究とか授業で、不安になって集中力散漫になったり、手がつかなくなったり投げ出したりすることなく、着実に努力することを心がけていきたいと思います。
というわけで、なにか書き忘れているような気もするけど、今月もこのへんで。
最後に、思考と身体とのギャップを埋める上でどうすればよいか、”リアル”の10巻の白鳥の言葉が個人的には分かりやすかったので、引用して締めたいと思います。
「何もできない存在としての自分
どうすべきか知ってる
口を閉じて、ただ脚を…
じゃねえ、腕を動かせ!
いつか必ずやってくる…
「できるようになる」瞬間まで」
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