日本の大学院で学んだ経験と、ドイツでのインターン、そして今、米国の大学院で学んでいて、漠然と感じたことをまとめてみたいと思います。
以前、どこかの記事で似たようなことを読んだのですが、「日本人は外から入る」のに対して、「欧米人は内から入る」んですよね。
・日本では…
例えば、ビートたけしの「間抜けの構造」にも体験談が書かれていた覚えがあるのですが、日本では、先生から手取り足取り学ぶことはなく、技を盗むことが求められます。
つまり、まず「形」から入って、物事の「本質」にたどり着き、そこから自分のオリジナリティというか、盗んできた「技」との違いを見出す、「守・破・離」の構造があると思います(言葉の使い方が正しいかはわかりませんが…)。
日本の大学院も同じで、基本的に、「先輩の研究を見て学ぶ」、授業でも、「他の先生方の研究を見て学ぶ」ことが多かった気がします。
そして、そこから自分の興味を持った分野に対して知識を深めていく、というの日本の大学院の形態かと思います。
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脱線しますが、なので、やりたいことが定まらず、流れで日本の大学院に行くと、
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そのため、知識は「言葉として残す」というより、形のない「技」として受け継いでいくことが日本人の性質のような気がします。
・対して、欧米では…
一方、「研究」そのものの発祥の地でもある欧米(厳密に、発祥というなら欧州だけかもですが…)では、日本と異なり、物事の「本質」から学びます。
物理とか、もうその学問の存在自体が、物事の「本質」から学ぶということの証明ですよね笑。現象(形)から入るなら、「なぜ」球が落下するのか、なんていう興味は持たないと思います。
つまり、まず従来の物事の「本質」から入って、新たな「形」を発見し、そこから新たな「本質」を見出すという構造があるような気がします。
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また脱線しますが、この本質というのを表現するには、他の人が読んでもわかるような言葉で表さなければいけなくて、言葉自体は生き物なので言葉にも限界があります。
(科学分野では、主に使われる「言葉」は、一般的には数学といわれるものになります。このあたりは、機会があれば、また別の記事で書きたいと思います。)
ただ、言葉は生き物なので、新たな言葉が創られたり、発見されたりします。
(日本語でも広辞苑の辞書の言葉が書き換えられるのと同じニュアンスです。「むかつく」とか笑。)
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まだ1年目なので、何か言えた身分ではないですが、米国の大学院も基本的に同じだと思っていて、まず「本質」、つまり今までの知識がどこまであるのかをしっかりと学びます。
現状までの「本質」をしっかりと理解した上で、未だわかっていない新しい「形」(現象)を発見する、というのが欧米の大学院の形態かなぁと思います。
その理由もあって、米国大学院の講義は、自分の過去の記事にも書いたように、しっかり(
そのため、知識を「言葉として受け継いでいく」ことが欧米人の性質のような気がします。
・日本と欧米の違いから…
この違いから、自分の意見としては、
-日本
利点:奇抜な発想が起こり得る(故加藤先生のように、二足歩行ロボットをいきなり創ったりする)
欠点:過去にすでにやられていることだったりして、せっかくの努力が重複してしまう
-欧米
利点:新しい発見を後の世代に引き継ぐことができる(新しい発見=各分野のノーベル賞クラス)
欠点:奇抜な発想が起こりにくい(過去の知識に基づいて考える)
という感じでしょうか。
上の構図を見ると、なんとなく、なぜ日本人がノーベル賞をとりにくいか、またSonyのwalk-manとか日本の発明品が多いかがわかるような気がしませんか!?(もちらん、双方例外はいるので、概論ですが…)
どちらの文化がいいということもなく、どちらの文化もあるからこそ、より発展していくのかなと思う今日この頃です。あとは、個々人がどちらのスタイルを好むかだけですね笑。
個人的には、頭でっかちなタイプなので、欧米型で米国大学院で勉強しているようなニュアンスです。
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またまた脱線しますが、これはかなり宗教観がはいってきてると思います。欧州では、神が世界を創ったから、そこには何かしらの法則がある、というように考えていたとか聞いた覚えもあります。
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あ、そして、なんとなくですが、米国は欧州の利点は維持しつつ、日本の利点も取り組んできているような気がします(特に工学分野)。
・最後に…
なんか思ったことをつらつらと書いていたら長文になってしまったので、この辺で。
単純にまとめるなら、人類の歴史において、日本は「名前を付けて保存」、欧米は「上書き保存」って感じなんですかね笑。