2015年11月8日日曜日

Tendon始めました。

とうとう、月一更新がストップしてしまった先月ですが、またがんばりたいと思います!


先月あたりまで、試験やプロジェクトといろいろなことに「不必要に」追われていた気がします。

「実力・日程的にむりなんじゃないの!?」と思うことから、不安になる。
不安になった結果、一歩目が遅れ、さらに不安が増す…、みたいな負のスパイラルでした。

でも、不安を解消するには、行動しかないんだな、とドイツで学んだことをあらためて思いました。

結局、待っていても誰もなにもしてくれないので、自分から行動して動くようにする。
言い訳を練るよりも、一歩目の動き出しを早くできるようにすることがすごく重要かと。

できるとわかっている、時間が見積もれるのであれば、すでにある程度わかっているわけで。
不安に思わないこと、つまり結果がわかることをやっているなら、成長というより研究ではないですよね苦笑。

どうなるかわからないから時間がかかる分、一歩目の踏み出しが重要かなと思うわけです。
少しできたことへの自信と不安な気持ちを上手く扱えることが重要かなと。


あと、だれかがfacebook上でアップしていた動画のリンクをつけておきます。

この人がどういう人かはわからないけど、言っていることはおおむね正論だと思います。

一般的に、完璧主義者の多い日本人は、「どーせむり」っていう人がかなり多いと思います。
そういわれると、日本人気質の自分は、「だめなのかなぁ」とよく不安になります苦笑。

完璧主義というと、ロケットと聞いたらアポロ11号のような立派なものしかイメージできず、ミニチュア版を見せられると「ああそう」といって一気に興が削がれる感じです苦笑。その結果、「(いきなりあんな立派なものは)どーせむり」という心境になりやすいのかなと。

でも、今いる研究室には、「面白そう、とりあえずやってみようぜ!」という人が多いです。
(※海外の人がみんなそんな感じというわけではなく、むしろこの環境が特殊だと思っています。)

できるだろうと思って、一歩目を踏み出すこと、踏み出しやすい環境にいることも、なにかを生み出す上で重要だと思うわけです。


最後に、学部以来でひさしぶりに日本でいうサークル活動に参加しはじめました。

障害を技術で乗り越えようということに、研究とは違う視点からトライしています。
今は、Tendon Gloveというものをつくろうとしています。
(タイトルですが、「Tendon」=「腱」であって、丼ではないということです笑。)


ちょっとずつ行動していき、自分ができること増やし、やりたいことができるようになれたらな、と思う今日この頃でした。

さて、課題をやろうかな…苦笑。

2015年9月6日日曜日

新学期が始まって…

2週間経ったのに、試験の結果発表がまだのままでもやもやした3連休となりました苦笑。

さて、新学期が始まりました。
試験の準備に追われ、新学期の準備をしていなかったので、まず授業登録に追われました…。
取りたかった授業が急にキャンセルになったり、予想より授業の内容が興味なかったり笑。

試験結果にもやもやしていたというのもありますが、授業選択において、なんか自分で自分の首を絞めてたかな、と。
はじめは、同期が3科目とるからとか、早めに授業の単位を取り終えるために、3科目取ろうとしました。でも、そうすると授業負担が半端ないので、結果2科目に減らしました。
(といっても、8単位なので、およそ3科目分の負担になりそうな気はしますが…苦笑。)

そして、自分は良くも悪くも周りと比較しているんだろうなぁ、とも。

日本にいると、みんなほぼ同じ年齢で「学校に通い、大学の勉強をスムーズに終え、就職する」という一連の流れから外れないようにすることが重要で、とりあえず与えられた課題を効率よくこなし、優秀な成績で卒業することを無意識に心掛けるようになっていた気がします。

その考え方を引きづっていたのか、自分で「この日程はきつい…」と思っていても、周りができているから頑張らなければと思ったり。人よりも早く、効率良く、成績良く、と考えていたり。

でも、結局、自分のできるペースでこつこつ進めていくのが一番かと。
そして、効率とか考えずに、興味のあることに手を出して、自分が楽しければいいかと。
(もちろん、そこでは相応の努力が必要だとは思いますが。)
そうすると、自分だけにしかできないことができてくるのかな、と思います。

研究課題って与えられるというより見つけるもので、課題として好きなことをやれる期間だと思うので、自分の好きなことを思いきりやりたいな、と思うわけです。

こういうこと書くと、スティーブ・ジョブスのスタンフォードでの講演を思い出します。

"you can't connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. 
 So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. 
 You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever.
 This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life." 
(quoted from: http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html)



そう、だから試験の結果なんて関係ない!
、と思って悩まないようにしている今日この頃でした笑。

では、また来月に!

2015年8月25日火曜日

試験を終えて…

ようやく進級試験を受け終わりました。
結果は1週間後なのでわかりませんが、受かったと思っておくことにしておきます笑。
もし朗報がきたら、来月分で報告しますね笑。

さて、この夏はほとんど進級試験の準備で終わってしまったという感しかない…。
もちろん、日本に帰ってインターンもしたし、ロンドンに行ったり、ほかにもいろいろあったけど…。
甲子園もいつの間にか始まり、いつのまにか終わってたし。

他の同期がさっさとパスして、夏を満喫しているのをみると、うらやましくも思ったり笑。


とにかく、試験は終わりました。そして、もうすぐ水曜からは、もう授業が始まります。

渡米して、およそ1年が経ったと思うとなんだか早いな、と感じてます。
でも、また授業が始まると「長いな」と思うんだろうな苦笑。

前学期でなんとなくやりたいことが見えてきたので、今学期はそれをもっと進めてみたいなと。
そして専門の授業は取り終えたので、次は副専攻のを抑えにいこうと思っています。

候補として…、

・AI
・Biology/Bio-engineering
・Human interface/Ergonomics

かなぁ、と思っていますが、どうするかな笑。

そういえば、この間、バークレーで日本でコンサルに勤めている方と会いました。
経済出身と聞いていたのに、制御の2次系のシステムについての簡単な説明をなんなく理解していたところ、頭いいな、と思った次第です。
コンサルの人全般、頭がきれるのか、はたまた会った人が優秀だったのか。

そして、「ロボットやっている」という理由からか、他にも電話ミーティングをする機会があったりで、結構ロボットの流行はきているのかな、と思ったりしています。

今週末は後輩が来るとか言っているし、毎セメスター日本人の方が来てくれるのはうれしいことですね!


ではでは、今月はこのへんで。


2015年7月25日土曜日

研究開発について思うこと

徐々に毎月更新が危ぶまれてきていますが、なんとか今月も更新です!

ではでは、前のブログに書いていた通り、日本に戻っての感想を…。
書きたかったんですが、記憶が遠くなってしまって苦笑。
(広島に行ったり、山登りしたり、フクロウカフェ行ったり…、感想を書きたかったんです笑!)

でも、ただいまPrelimsという博士課程への進学をかけた試験勉強真っ最中で、頭のモードが勉強になっているので、真面目モードで書きたいと思います。

というわけで、この前、日本にいる後輩との研究相談の一部を抜粋したいと思います。
(決して楽したいわけではないですよ…笑。)

分野の違う人にも、工学者の自分がどんなこと考えているのか少しわかってもらえたら幸いです。


①「研究」と「開発」の違いについて

まず、自分がよく書かれていると思うブログをごらんください(ここをクリック)。

このブログで書かれているように「システム」には複数の「技術」があります。


①-1「開発」について

大きな会社であれば、個人的な意見としては、どういう「システム」を創るかが非常に重要です。

そして、会社では、「製品」=「システム」であり、「製品」をつくることが「開発」であると思っています。

このとき、極端な話、システムにどういう技術を用いるかなんてどうでもいいんです。
なぜなら、A社やB社がすでに「技術」を持っていてつくってもらえるなら、安くて正確な方に外注すればいいんです(なぜなら、安い方が客のニーズを満たすから)。
また、C社しかできない技術があるなら、会社ごと買収して製品をつくるということも一案です。
G社がロボットのスタートアップを軒並み買収したのと同じことです。

つまり、「開発」とは、客のニーズを考え、ニーズを満たす「システム」をつくることです。
そのため、必要となる「技術」をブラッシュアップして編集し、まとめていく能力が必要となります。
また、ジョブスのように、客の(潜在的なものも含めた)ニーズを形にできる創造力、いろいろな人・会社を巻き込める力も求められます。


①-2「研究」について

上述のように、「開発」における「技術」は、要素の一つでしかありません。

一方、アカデミックな研究室では、

①新たな「技術」を発見・開発すること
②みんな(100年後の人等含む)が、その「技術」を使えるように説明書(論文)を書くこと

が求められます。

「システム」ではなくて、「技術」を求めること、これが「研究」です。
(注:あくまで一個人としての見解です。)

つまり、極端な話、新しい技術をどういうシステムにアプライするかなんてどうでもいいんです。
(研究費の申請書等々のためにいろいろ考えなきゃいけないのですが…苦笑。)

それよりも、自分の研究の結果が世界で初めての技術であり、それが多くの人に影響を与えるものであることが重要です。
そのために、いろいろな文献を読んで過去の研究成果との違いを知ることは非常に重要であり、多くの人に使ってもらえるように、より抽象的な概念に落とし込めるかも研究者としての腕の見せどことだと思っています。


①-3例

例があったほうがいいかと思ったので、とてもおおざっぱに例を示します。
(医学的なことをモノみたいに書くので、不適切な表現があったらすみません。)
(また、専門知識がないので、誤った部分があるかもしれません。)

ご存じ、山中先生は、iPS細胞をつくるという素晴らしい「技術」を発見し、論文という説明書を書いて、他の医学研究者たちもみんなが再現できたので、その功績が称えられ、山中先生はノーベル賞をもらいました。(一方、O保方さんは、説明書の書き方に不備があったため、いろいろと問題になりました。)これは明らかに「研究」です。

iPS細胞を用いれば、筋肉や皮膚等をつくることができるかもしれないという、画期的な技術です。
では、仮に、どこかの筋肉が委縮してしまって腕を動かせなくなったとしたら、このiPS細胞の「技術」単体を求めますか?
違いますよね、この場合、「委縮してしまった筋肉を取り換える」ことがニーズですよね。

すると、このニーズにこたえるには、①筋肉を再生するiPS細胞をつくる技術、②iPS細胞を培養させ、筋肉を再生する技術、③再生した筋肉と取り換える技術、のように、すごく大ざっぱに捉えても、iPS細胞の「技術」は、一つの要素技術にしかならないわけです。

そして、このニーズに沿うように、製薬会社や病院が一連の「システム(治療法)」を組むことが「開発」にあたるというわけです。


まだ、①しか書けていないのに、だいぶ長くなってしまったので、また今度に…。
たぶん、そのうちこの記事も更新するようにがんばります。

というか、来月にはPrelims合格していますように!!

p.s.
企業のニーズにこたえるようにして技術が発展してたりもするので、「開発」と「研究」については簡単に切り離せて考えるものではないです。
ただ、両者の考え方のベースの違いをわかってもらえたらと思います。

2015年6月30日火曜日

逆インターン

今月も残すところわずかですが、(米国時間では)一応遅れることなく、各月更新ができそうです!
今月は2回くらい更新するかも!と粋がっていた月初めが懐かしい…笑。

さて、今回は、日本に帰ってインターンをやった感想を書いてみたいと思います。


ちなみに、過去、明示的に書いてはいなかった気もしますが、ドイツで約8ヵ月、オランダで約2週間以来の1ヵ月のインターンを日本でしています。

以前、日本にいたときは、海外に出たいために海外でのインターン先を探してました。
今回は、日本に長期で戻りたいために、逆に日本でのインターン先を探したという感じです。
(といっても、参加させてもらったインターン先は外資系なので、いろいろと「逆インターン」です。)


初めに言いたいこと。それは、今回のインターンで何が一番つらかったこと。

そう、久しぶりに日本に帰ってきて乗りましたよ、満員電車…。
しかも、6時台の電車でもほぼ満員…。
高校・大学と、自分はよく耐えてきたなぁ…、と思いました。

ちなみに、米国では大学まで徒歩圏内なので、通学時間が片道徒歩15min程度。
インターンをしていたドイツでは、自転車で20min程度。
けど、日本では、電車等で80min程度…。
まあ、米独は一人暮らしで、日本では実家通いなので、差は出て当然ですがきつい…。

日本での高校や大学時代、近くの学校に通学したことがなかったから、気付かなかったけど、
もっと通勤時間を削ったら、成績が伸びたんでは!?と思うくらいでした笑。
まあ、後悔はしていないけどね。


そして、インターンの内容ですが、研究テーマに近いウエアラブルロボットの開発でした。
ちなみに、英語だとExoskeleton、外骨格ロボットとも言われます。
(日本で有名なのは、筑波大の山海先生HALですね!)

脱線しました。

で、インターン先では

・論文を読んで現状のロボットについて理解・把握して報告したり、
・シミュレーションを用いて、どのようにロボットを動かしたらいいのかを考えたり、
・実際のプロトタイプの制御プログラムを書いたり、

と短期であったのに結構幅広い分野に着手させてもらえました。
(その分、一つ一つの内容が薄くなってしまったのは内緒。まあ、1ヵ月だからね!)

どちらかといえば、企業の製品開発、というより研究室に近いこともあって、非常に動いやすい環境でした!将来働くなら、ああいう環境がいいですね!

そして、勉強になったのは時間の使い方。

グループで動けば一週間でそこそこ進むんだという実感を得られた気がする。
タスクに充てる時間を細かく区切ることで達成感を得ることとかね。
e.g.)
「レポートを終える」を1日のタスクとするのではなくて、
「レポートに何を書くか考える」: 1h
「書くための資料を集める」: 1.5h
「書くための資料を読む」: 4h
「書く・推敲」: 3h
みたいに区分けにすると、他の用事が入ってもどこかで切っても、いずれかのタスクはこなしているはずだから焦らずに済む、みたいな感じ。

あと、「求められていること」に、時間通りに的確に応える大切さ。

例えば、「レポートで求められていること」が3つあるのに、1つに時間を遣いすぎちゃって、他に手を回せず書けなくならないように時間配分をするとか。

不満があるとすれば、どこもそうなのかもですが、比較的動きが遅い点ですかね。

あらゆるパターンを考えてから良いものを選ぼうとするんだけど、時間がかかりすぎるんじゃないかなぁ…、と思ってしまったり。
かといって、行き当たりばったりで研究をしていて、後々後悔することを経験している身なので、しっかり考えるようにする視点を身に付けなければとも思いました。


今月はインターンのことしか書けなかったので、来月は日本に戻っての感想を書くことにしますかね。

2015年5月3日日曜日

日本と海外の記事の違いからみる視点の違い

今月は遅れずに更新できそうです!

といっても、テスト勉強から逃げたいだけな気もしますが…苦笑。

とはいえ、昨日研究発表を終えたので、良しとしましょう。


さて、最近Facebookに上がった安倍首相のスピーチについてです。

といっても、スピーチ自体の内容について、ではなく、国別の記事の取りあげ方についてです。


まず、日本、というか日本語記事のThe Huffington Post

スピーチの内容には一切触れておらず、ビデオもありません。

けど、原稿のメモや英語の発音について言及しています。


一方、その元ネタとなった、The Wall Street Journal Japan

英語の記事全文にビデオまであり、発音等については特になにも書いてません。
(流し読みした程度なので、書いているのかもしれないです。)


で、自分はFacebookに上がっていた日本語の記事を先に読みました。

そのときは、「相手の国の言葉を使ってのスピーチがどれだけ大変かわかっていないのか!?」と、原稿のメモを取り上げた他国の記者の視点がおかしいのでは思いました。


けど、元記事を読むと、話が違うことに気づきました。

「原稿の写真」はたしかに取りあげられていたものの、日本側の記者が「原稿のメモ」の部分のみに着目して記事を書いた、という感覚でした。(個人的な感想で読み違えなら、ごめんなさい。)



このように、日本の記事では主に「ふるまい」が、海外では「内容」が取りあげられた印象です。

もちろん、スピーチで棒読み、間違いだらけだったら、ニュースになってもおかしくないですが、ビデオの一部を見た感じでは、批判されるほどのスピーチではなかったのでは、と思います。

なのに、「内容」に関する記述はなく、「ふるまい」にしかフォーカスがいっていない。

そして異なる日本語記事の時事ドットコムでも、「内容」ではなく、米国の議員に「どういう感想を持たれたのか」が書かれていて、スピーチの内容については触れてないです。
(感想の中にスピーチの一部が含まれていても、それはあくまで感想だとみなしてます。)

個人的には、「ニュース記事」ならば、まずどういうスピーチの内容だったのか概要を示して、その後他の人の感想を事実として述べたほうがいいのではないか、と思います。

けど、記事を書く側の身を想えば、今の読者は、内容自体より、簡潔な文章で少し煽る感じの記事のほうがウケるから、と考えたようにも思えます。

実際、こうして少しでも多くの人の注目を浴びる結果となったことは、注目されないよりは良いことだと思います。



で、この記事の違いを比べたら、結局日本人は「どう見える/見られるか」が重要なんだなと。

極論を言えば、このTED Talkみたいに、内容がなくても、

・流暢な英語で、原稿を見ずに、それっぽく話している

と「すごい人」なんだろうなと。
これでうさんくさい商売すれば、ある程度稼いでいけそうですね苦笑



話は変わりますが、自分も昨日のプレゼンで、「自分のプレゼンがどう見えるか」ということを無意識の内に考えてた気がします。

でも、プレゼンを上手くみせるよりも(見せ方ももちろん重要ですが)、自分の意見をしっかりと持っているということが重要だと思いました。

「(自分の意見が)どう見える/見られるか」ということから、「自分の意見をいかにアピールするか」という意識に変えることが日本人にとっての大きな一歩なのかなと思いました。


そのためにも、記事の書き方が少しづつ変わり、Facebookでも議論される意見のベクトルが少しづつ変わっていったらなぁ、と思った今日この頃でした。


相変わらずまとまりのない文章ですが、このへんで。

来月は日本からの更新になりそうです。

2015年4月26日日曜日

こつこつと…

毎月更新の目標が、1ヵ月遅れになってしまった今日この頃です。

タイトルにも書きましたが、最近、こつこつ「やること」の重要性と毎日少しづつでも成長していることに「気付く」重要性を実感しています。


・やることの重要性

やること、特に始めることの重要性は、よく語られていて、本も読んだりしたのですが、実のところ、あまり実感してなかったのかなと。

学部の卒業研究のときとか、「誰かが似たようなことをやっているから」とか「企業ほど上手くできないから」とかよく言って、手を動かすことをためらっていた覚えがあります。

結局、今振り返ってみると、正面向いて研究する気が無かったのかな、と。
または、研究するというベクトルを勘違いしていた気がします。

そんな経験をふまえて、今思うのは、「守・破・離」の感覚がすごく重要だな、ということです。
元の研究室にいた頭の良い人や今の研究室にいる同期は、素でこれができている気がします。

学部次の自分の場合、なんというか、口だけ「破」を目指していた気がします。

頭のいい、優等生と呼ばれた友人は、素直に「守・破・離」を順に守っている人だと思います。
先輩の研究等をしっかりと確認し、できていないところをしっかりと埋めていく感じです。
これは、普通の人にはできないことなので、十分すごい能力だと思います。

しかし、「すごく」頭の良かった先輩は、「破」の部分、つまり自分のアイディアありきで、「守」もきちんとふまえていた気がします。

自分はこの「守」、つまり基礎の部分ができてなかったんだな、と今痛切に感じています苦笑。
そう、自分のアイディアだけ突き通そうとして、これまでの人のアイディアを無視していた感じです。

基礎がなかったため、どうすればいいのかわからなくて迷走し、また違うアイディアを考えては迷走するという繰り返しでした。

今の自分もできているかはわかりませんが、自分の意識の上では、「破」の部分を意識しつつ、「守」の部分を固めている感覚です。
そして、「守」の部分を固めようとしていると、いろいろできていない部分があるんだな、とわかり、自分のアイディアで少しづつ埋めていく、という作業を繰り返しています。


・気付くことの重要性

そして、昔は復習することが大嫌いだったので苦笑、得られた成果のみに執着してた気がします。
なので、「少しづつ」でもアイディアの実現に近づくという感覚の大切さに気づきませんでした。

結局、目に見えて他人から褒められる成果が得られないと納得しない子供の自分がいました。
でも、研究のように、自分のアイディアを実現するのは、他人から褒められるより、むしろ非難され続けたとしても、少しづつ前に進め、結果を示して実現していくしかないんだな、と感じています。

そのため、イチローさんとかの発言にもありますが、自分自身が、日々少しづつ成長している感覚ってすごく重要かな、と。他人は褒めてくれることはないので、自分で褒めてあげる感覚笑。

急にすごいことができるようになることは、まずありえないので、少しづつできるようになった自分に「気付く」ことがやることを継続する上でも重要だな、と思うわけです。


結局、人ができることであっても、自分ができていなければ、できるようになったとはいわないので、

少しづつやるべきことをやり、成長している自分に気づいてあげて、継続していきたい

と思った今日この頃でした。

もうすぐ5月なので、今度はがんばって更新します!

2015年3月9日月曜日

なんとかなる

1月はすごく長く感じられたものの、2月は一瞬で過ぎ去っていった気がします。

というわけで、およそ一ヶ月のペースを守って、無事更新!
といっても、とくに書くことはないんですが苦笑。

今月は、普段以上に、日本人と会うことが多かった月でした。

・元高校の同級生や奨学金の同期が大学見学に来たり、
・米国大学院への留学希望者が来たり、
・Berkeley 対 Stanfordの日本人ソフトボール戦に参加したり、
・無料の英会話教室(ESL)に通い始めたら、そこでも日本人に会ったり、

と振り返ってみると、案外、盛りだくさんな月ですね笑。


そういえば、最近ひさしぶり(ドイツ以来!?)に「ちきりんの日記」を読んでみました。

そしたら、すでに本が何冊も出ていてビックリ!
2011の時点で人気ブロガーだった気もするものの、数年続けるとここまでになるんですね!

それは置いておいて、その中の人気記事で、これとかこれとか、共感できる点が多々あります。
他方、こういう記事(指示語ばかりでごめんなさい…)を読むと、考えさせられることもあるわけです。

今やっていることは十分に楽しいのですが、人生を楽しく生きるとすると、大切な人のいる日本で暮らすほうがいいのかなあ、と思ったり。
はたまた、せっかく米国にいるのに、「こっちの文化に浸らなくていいのか」と、勉強の合間にふと思ったりするわけです。

でも、日本で大学院在学中には、同じ研究室、もしくは近い研究室の人達としか関わりがなくて。
一方、今はMBAの人達とかとソフトボールをしたり、企業から来た人達の話を聞くことができ、確実に視野は広がっている気はします。
また、フリータイムは日本人といることが多いものの、フリータイム以外では、同じ研究室の先輩と自分の研究分野について議論しているし。
こちらの大学院生も、みんながみんな日本の学部生みたいに元気にサークル活動に励んでいるわけはないので苦笑、これでいいのかな、とも思います。


そんなことを考えていると、前回の記事にも書いた気がしますが、自分は(頭の中の)「何でもできている」自分と比較しているのかなぁと。
実際、できることは限られているのに「なんでもできる!」と勘違いして、少ししかできていない自分に、いろいろと悩んでいるのかと(Faceb●●kの弊害ですかね苦笑)。

欲張らないと成長しないかなぁとは思いつつ、「なんでもできることが当たり前」から「できなくて当然、だから(時間をかけてでも)できるようにする」という思考回路の変換をしていこうかと思います。

結局は、やっていることを少しづつ積み上げていけば、なにかしらの「自分」ができあがっていくと思うので、「なりたい自分」に近づけるようにしたいと思います。


最後に、ガンジーによると、

「幸せとは、あなたが考える事と、あなたが言うことと、あなたがすることの調和が取れている状態」

らしいので、することのスピードを考慮していきたいと思います。


(タイトルは、最近言わなくなった自分の昔の口癖を思い出して、のんびりいけよ、という戒めでした笑。)

2015年2月1日日曜日

思考と身体の速度の違い

というわけで、およそ一か月ぶりの更新です!
先輩が使っていた言葉ですが、なかなか「粘られた」1月でした笑。


日本から戻ってきて進級試験の勉強を開始し、中旬に終わりました。

結果は…、まあ…、同期達との差が浮き彫りになる結果でした(泣)。
ただ、自分は日本に戻っていたこともあって、10日間の準備の割にはがんばったのではないかと。

次のときには、しっかりと準備してがんばりたいと思います!


そして、試験の後は、すぐに研究&授業生活が始まりました。

始めのうちは、研究が上手く行かず、というかメンターとの意思疎通がうまくいかず大変でした…。
(専門用語わからないし、英語話すの早いし苦笑。)
しかも、チームにいる他の学生もネイティブなので、なかなか輪に溶け込めず、ラボに行くのが若干億劫になりかけてました…。
でも、言葉が全て通じることはなくとも、その場にいて話を聞く、話をすることが大切だと思い、徐々に自分から話すようにしています。
すると、自分の心のあり方が変わったのか、不思議なことに、少し親しくなった気がしている今日この頃です。いやー、親日家の多いメンバーでよかった!



はてさて、タイトルの話ですね。

最近、鴻上さんの「孤独と不安のレッスン」という本を読みなおしています。
そこででてきて印象的だったのが、「頭と体の速さは違うことを理解する」ということ。

頭ではわかっているつもりでも体がついてこないという経験、みなさんあると思います。

スラダンだと桜木のシュートイメージと実際にビデオに映った姿がかけ離れている感じですね。(読んでない人、分からない例えでごめんなさい。)

上の例とは別の観点から、もう一点、「頭と体の速さは違う」と上述の進級試験の勉強をしていて思ったことがあります。
それは、わかっている(思考としては理解している)けど、問題が解けない(ある意味、身体がついていかない)というパターン。

試験勉強中は、頭では分かっているはずなのに、なんで問題が解けないの!?という感じで、焦りや不安を冗長させていたのかと思います。

そこで、上述の本を読んで納得したのが、「頭と体の速さは違う」んだと。
頭では「自分はできるはず」と思っていても、身体は容易にはついてこないんですよね。
特に、勉強とか、頭で考えるものだと「思考(想像、妄想!?)=身体(実際に考えられること)」と勘違いしやすい気がします。

そして、受験生のときの自分は、「わかっているから、解ける」と思っていたのだと反省しました。
「わかっていなくても解ける(解答を丸暗記する)」のは受験時には有効ですが、理想はやっぱり「わかっていて、解ける(思考と身体が一致している)」状態がベストかと。

だからこそ、「思考と身体の速さは違うことを理解」することで短期間で成果がすぐに出なくて当然と思い、焦ったり不安になって手がつかなくなったり投げ出したりすることなく、着実に努力することが結局は成功への一番の近道なんだと痛感しました。
(痛感したのが、試験には遅すぎて結果に反映されてませんが…泣)

実際、元の研究室の同期とか、今の同期を見ていても、成果を出している人はそれなりの努力をしていて、「才能」という言葉で片付けるのは雑すぎる気がします。
(もし「才能」という言葉を使うなら、「努力する才能が同期達にはある」という感じでしょうか。)
日本では、泥臭く真面目にやることよりも、適当に手を抜きつつ良い成績を取ることがすごいことと思われますが、実際は真面目にできる才能こそほめるべきかと思います。


研究とか授業で、不安になって集中力散漫になったり、手がつかなくなったり投げ出したりすることなく、着実に努力することを心がけていきたいと思います。

というわけで、なにか書き忘れているような気もするけど、今月もこのへんで。
最後に、思考と身体とのギャップを埋める上でどうすればよいか、”リアル”の10巻の白鳥の言葉が個人的には分かりやすかったので、引用して締めたいと思います。


「何もできない存在としての自分

 どうすべきか知ってる

 口を閉じて、ただ脚を…
 じゃねえ、腕を動かせ!

 いつか必ずやってくる…
 「できるようになる」瞬間まで」

2015年1月2日金曜日

新年を迎えて…

新年、明けましておめでとうございます。

米国大学院での半期を終え、現在日本で一息ついているところです。
ええ、実は、日本ではうれしいことに友人と会いまくっていたので、ようやく日本でも一息つけたところで、明日帰国します笑。

にしても、米国に帰国後、すぐテストがあるっていうのに、こんなにのんびりしていていいのかと思いつつ苦笑…。まあ、リフレッシュの時間は必要ですよね!
でも、日本にいるとテレビをのんびり見てしまって、やりたいことあるのに、無駄な時間を過ごしてしまう自分がいたりして、ちょっと嫌気がさしていたり…。

さて、2014年を少し振り返って(←本来、去年やるべき笑)、2015年について考えてみようかと思います。


(2013年の年末~)2014年の新年は、ひたすら修論に追われていた気が…苦笑。
2014年は修論発表から始まり、修士の同期達との欧州への卒業旅行、あと、旅行をリスケジュールさせられての学会発表ですね。

そうそう、それらが一段落したら、今度は大学院の合否が非常に不安になって…苦笑。
留学の同期達がどんどん合格していく中、一人合格が決まらず、他の進路も検討していた時期が懐かしい笑。

3月の中旬には無事合格が決まり、京都行ったりしたなぁ。そして、サマースクールについて先輩方にいろいろアドバイスを聞いたり、ビザを取得したり。
あの時期には、もっといろいろ動けたはずだなぁ、と思う感じ。当時は、Arduinoで音声認識試していたけど、いかんせん、進捗が遅すぎたかと。


7月下旬から渡米。ここからは一瞬だったかなぁ。

8月はサマースクール&メキシコ旅行でいろいろな人と会ったり。
9月から授業が始まり、10月は中間試験に追われ、11月も試験が続き、12月にはもう期末と…。

8、9月のときは、宿題に死にそうになりながらも、週末は日本の友人と遊んだり、ソフトボール行ったりと遊んでいたかなぁ。

でも、9月下旬あたりから、だんだんやばいことに気づき…苦笑。10月の中間からはひたすら勉強の日々でしたね。もうがむしゃらに。今振り返れば、もうちょっと気を抜けたかも、と思いつつ、よくがんばったと思います笑。

こう振り返ってみると、今年は激動(!?)の1年だったなぁ、と。ドイツに行った2011年もいろんな意味で動いていたけど。


今年、2015年はですね、腰を据えられると思うので、一昨年の2013年同様、研究のアウトプットを意識したい一年にしたいと思っています。

去年途中から、研究プロジェクトに参加することができたので、授業は大変だとは思うものの、今年はどんどん研究の時間を割いていきたいなと思う次第です。
今期は授業がやばいと思って、ひたすら、授業に力を入れ続けていたので…。
でも、終わってみれば、なんとかなるかと。もちろん、トップ層ではないので、上に行くにはより一層の工夫は必要ですが。

あとは、試験に合格すること。これができないと、博士課程を続けられないので苦笑。

さあ、今年もがんばりますか!よい年になりますように、いや、なるようにがんばります!!